四六会(第46回生)

2016年10月17日〜18日 東京

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 昭和34年度卒業生の集まり「四六会」が今年は10月17、18日に関東地区在住者が幹事となり東京のホテル椿山荘 で開催され、27名が参加しました。この会は卒業10年目の第1回(富山宇奈月温泉)を皮切りに、第2回以降は5年毎に、第6回以降は3年毎に、第10回以降は2年毎に、第13回以降は毎年開催され、現在に至っております。幹事は富山・関西・東海名古屋・関東の4地区在住者が持ち廻りで担当し、 特別開催として沖縄(第6回)、岡山(第11回)、東北(第15 回)で実施されました。

 今回は第21回で、南は沖縄(大山君)、北は秋田(豊住さん)から1年振りに27名が参加し、各自の近況報告や昔話で 楽しい一時を過ごしました。翌日は椿山荘の庭園めぐりをし、来年開催の富山で元気に再開出来る事を願って散会しました。

(川畑耕祐㊻記)

 

2015年10月20日〜21日 伊勢

 

 昭和34 年度卒業生の集まり「四六会」が、今年は10 月20、21 日に、東海地区/名古屋在住者が幹事となり、三重県鳥羽市で開催され、25 名が参加しました。今年は多くの者が八十歳となり、傘寿を迎えることになるので、21 日には伊勢神宮に参拝し、お祓いを受けました。この節目の年に、この地に同級生を迎えることが出来、幹事一同は非常に嬉しく思ったしだいです。来年、東京で再開できることを願ってそれぞれ、帰途につきました。              

(今井勝行 記)

 

(2014年10月8〜9日) 第19回総会&「大山パークウエイ・皆生温泉・足立美術館」の旅

 四六会の第19回総会ならびに旅行会が、去る10月8~9日の両日開催されました。この度の会は、原則、新大阪起点、米子行きの高速バスによる旅でしたが、それぞれの居住地から相対的に遠方であったこともあり、例年に比して参加者は若干少なめでした。それでも、直接飛行機で沖縄から、また秋田から総会会場の米子へ直行された方もありました。

 参加の有無に関して寄せられたハガキ・アンケートや、直接電話コンタクトした結果では、やはり「寄る年波には勝てぬ」理由により、ご本人や伴侶の方、もしくは両方とも心身の不具合が年々増えている印象を受けました。しかし、事前に抗がん剤をたっぷり点滴してもらって出席した人がいる一方において、直前になって肺炎で入院騒ぎを起こしたり、定期検診で新たな癌転移が見つかりドクターストップがかかった人などがいて、皆そういう年代であることを知ることにもなりました。

 さて、総会と旅行でありますが、この時期巨大台風の連続襲来で、当初は中止の恐れさえありましたが、あたかもその間隙を縫うがごとく好天に恵まれ、「伯耆富士・大山(西方からの眺望)」の姿や皆生温泉(グランドホテル天水)からの日本海に沈む夕日も観ることができ、更に宴会途中に「皆既月食」まで観察できたことは、何よりの収穫でありました。

 総会は、幹事代表による一般経過報告とともに、出席できなかった方々の近況報告や、本年は2名の方が他界されたので、これまでの物故者の方々を含め、哀悼の意を表して黙祷をささげた後、宴会に移りました。参加できなかった方々の消息や近況報告に続いて、「大学生時代の“思い出のアルバムから”」と題して、幹事が集めた写真を基に制作したDVDが供覧され、晴れて薬学部に入学した昭和30年(1989年)当時の若々しい集合記念写真をはじめ、講義・実習風景、課外活動風景、遠久朶寮生活、大学祭、学生運動、クラブ活動、会社訪問、学生旅行、登山など様々な側面からのスナップと、当時夢中になったフラフープの写真や映画「ベニーグッドマン物語」のワンシーン(レッツダンス、女優ドナ・リードが扮するアリスに結婚を申し込むべく演奏したカーネギーホールでの「メモリーズ・オブ・ユー」)を映像に乗せて流すなど、しばしのタイムスリップを楽しんでいただきました。引き続いて参加者全員が、2~3分間のスピーチを行い大いに会は盛り上がり、この熱気はそのまま二次会へと流れ、傍らで囲碁を打つ方々もいて、尽きない話は夜半まで続きました。

 翌朝は、一部の方を除き再び高速バスに乗って、あわただしく足立美術館へ向かいました。言うまでもないことですが、横山大観の数々の名画を中心に上村松園、川合玉堂、菱田春草、竹内栖鳳などの名画を直に楽しむことができましたが、それにもまして、5万坪の日本庭園は、さすが日本一の名園といわれるだけあって、閑雅な風情を漂わせておりました。この庭園には、既に何度か訪れたことがあっても、季節による自然の移ろいがあるために、飽きることが無く、日本画との調和の取れた佇まいを見せてくれました。

 かくて、新大阪への帰途に着くわけですが、途中西方より観る大山は、かつて歌川広重が描いた「伯耆富士の風景」そのものでありました。来年は、東海地区在住者が幹事に決まりましたが、当初は、数年に1回のペースで開いていたこの会も、数年前から毎年に決まり、今ではその日を待ちながら、しっかり生きようとする一つの励みにさえなっているような気がします。ちなみに、薬局経営・調剤薬局勤務などをしている人は、多忙で参加できなかったり、学校で教鞭をとっていたりと、参加者を含め現役組も依然としてかなりの方がおられることは、大変心強いことと思っております。 (関西在住幹事代表 加藤恭一⑬記)