教員コラム~TOM'S薬箱~

脳内で神経細胞は新生している!

海馬歯状回

私たちのからだの色々な臓器では、毎日、古くなった細胞が死んでその代わりに新たな細胞が生まれています。また、臓器が損傷するとそれを修復するため、普段以上に活発に細砲が生まれてきます。これに対して、生後は脳の神経細胞はいったん死んだら補われることはないと以前は信じられてきましたが、1990年代に入り脳内でも神経細胞が新生していることが明らかになりました。なかでも脳内にある海馬の歯状回と呼ばれている部位(図を参照)では、正常な脳でも神経細胞の新生が毎日起こっていることがわかってきました。若いネズミでは1日に数千個の神経細胞が歯状回で生まれ、ネズミほどではありませんが、ヒトやサルなど霊長類の動物でも神経細胞が新生します。
それでは、脳内で新生した神経細胞は、神経系の機能とどのように関わっているのでしょうか?歯状回を含む海馬は、学習や記憶を新たに習得・形成することに重要な役割を果たすことで知られています。実験用のネズミを、常にいろいろな学習をしていくことが必要な条件下、たとえば比較的広くて色々な刺激のある環境の中に集団で飼育すると、神経細砲の新生が格段に多く起こってきます。また、単調な環境内で個別に飼育していても、一定時間運動をさせたり学習等記憶課題を行わせれば神経細胞の新生が増えます。逆に、歯状回の神経活動を衰えさせるような操作、たとえばうつ病のような状態にしたり、放射線を照射すると神経細胞の新生は減少します。つまり、神経細胞の新生は、神経系の活動の程度に依存して増えたり減ったりします。これらのことから、新たに学習や記憶を習得・形成する際には、新生した神経細胞が既存の神経ネットワークに組み込まれ、より多くの情報を保持・処理できるようになるという仮説が提唱されています。また、少し違った考え方の研究者もいます。いったん海馬内で形成された学習や記憶は、徐々に大脳新皮質に移行し、その後は、その学習や記憶の内容を思い出す際には海馬を必要としなくなります。これを記憶固定と呼びますが、大脳皮質に記憶固定が起こればその記憶は海馬の中に存在している必要はなく、新生した神経細胞が、既存の神経回路に組み込まれる過程の中で不要になった学習・記憶痕跡を"分断"し、新たな学習や記l憶をしやすくしているという説もあります。今のところどちらが正しいのかわかりませんし、またこの両方の役割があるのかもしれません。
近年、胚性幹細胞(ES細胞)や人工多能性幹細胞(iPS細胞)が、再生医学的な観点から脚光を浴びています。神経細胞を新たに生み出す能力のある細胞である「神経幹細胞」も、修復困難な脳障害の治療に利用できる可能性があります。こうした治療法の開発が進めば、脳卒中や認知症の患者さんの数が増加し続けている我が国にとっては大きな福音となることでしょう。