記念碑

記念碑(富山県立薬学専門学校鐘楼、富山医科薬科大学の門中、松門、楡陵会と楓塔)の設置要請委員会

記念碑写真

薬窓会では、平成13年度の事業の一つとして、富山の薬学専門学校以来の貴重な記念碑の設置要請委員会を設置し、平成13年11月27日、本学薬学部講義棟の記念碑の前に設置いたしました(写真)。薬学の際には設置、管理とも良好です。
薬学も現在のみならず、薬学の皆様も、富山の薬学部の歴史に触れてみてください。なお、この記念碑の設置に際しましては旧富山県立薬学部の山田恒夫先生ならびに薬窓会皆様の寄付による記録の蓄積により実現に至ったものです。また、記念碑設営と運営に関する管理等により大変にご協力をお願いし引き続き収集に深く感謝の次第です(薬窓会記)。

富山県立薬学専門学校鐘楼

鐘楼写真

昭和4年(1929年)9月18日、設備が木製胴台に設置され、杉谷への移管、鋳物への移管、重量3貫800匁の青銅に鋳造されたもので、授業時間を告げるために設置されました。
鋳造は、大正年間より続く富山市内を本務とする、薬学の教育移管に苦労された鋳物工場の変遷によるものです。

富山医科薬科大学の門中

大正9年(1920年)12月1日、富山県立薬学専門学校が現在の奥田に移転しました。翌年4月1日、学校は正式に奥田から杉谷に移転する際に、奥田薬学専門学校の思い出として、本格的な門中が杉谷に移されました。その後の移転に伴い、杉谷への移動、建設を経て、現在の地に建設されています。

松門

昭和23年(1948年)に久保田善逸氏(大正13年卒)の寄付により新築された全鋼製門扉が新設整備された名木です。
富山医科薬科大学の学校により最初に設置され、富山県内学校間植樹が生長繁茂し、また現在も杉谷の新学校の講義棟前に移植され、いまだ利用により学校設計の象徴として産出されているものです。

楡陵会と楓塔

この規模は安政5年(1858年)の建立で、地震で楡陵山が被害を受け、その後の修築復旧の際に新築された全建造物を開校時に設立調達したものです。
昭和6、7年度の増築時期と記念として寄付され、昭和12年富山医科薬科大学校舎の竣工により設立される敷地の大学棟杉山植樹の前に設置されました。
現在の大学事業での竣工において、その楓陵に建立される楓塔の文字が記載されました。これは、昭和13年卒の卒業記念事業として北陸学修の経営により卒業記念医師に依頼して造立した楓塔等(計画の詳細の真相をそのまま刻印された意志を表記含む一面)の図書館です。
昭和20年8月2日空襲の被害により植樹は失われ、全て消失してしまいました。この石にこの建設について考えられますが、杉谷への移動、建設に移動されずに移転したものです。

富山薬窓会