研究室沿革

本薬学部の前身である富山大学薬学部に薬化学講座が設けられたのは昭和25年4月である。 薬化学講座は新設7講座の一つとして発足、戦災復旧したばかりの奥田キャンパスにおいて、 教育・研究活動をスタートさせた。

三橋教授

初代の三橋監物教授(1905−1980)は、昭和11年10月に東京帝国大学薬学科(医学部副手)より 富山薬学専門学校教授として赴任した。三橋教授の富山薬学専門学校時代の研究課題は、 東京帝国大学時代から引き継いだフェナントリジンの化学的研究であった。 学制改革に伴い昭和25年に富山大学薬学部薬化学講座が発足した。 昭和32年7月に野村哲夫助手が三共(株)に転出、かわって昭和35年に門下生の塩谷俊作助手を、 同37年には京都大学大学院を修了した野村敬一助手(昭和38年助教授昇任)を迎えて研究室の体制が固まった。 昭和38年に大学院薬学研究科修士課程が設置され、名実ともに薬化学講座となった。また研究棟も五幅新校舎に移り研究が本格化した。 三橋教授の念願は非麻薬性鎮痛剤の開発であって、塩谷助手らが中心になって鎮痛薬「エプタゾシン」を完成させた。 三橋教授は昭和43年4月から2年間薬学部長、44年1月から2ヶ月間学長事務代理を務められ、昭和46年定年退官された。 塩谷氏は昭和43年に助教授に昇任後、富山工業高等専門学校に転出、同校教授を経て昭和54年富山大学教養部教授になっている。

増田教授

 昭和49年10月、二代目教授として増田克忠氏が武田薬品工業(株)より着任、野村助教授、 昭和41年に任用された安立準助手とともに第二期薬化学講座が発足した。 増田教授は武田薬品工業在職中に、メソイオン系複素環化合物シドノン誘導体に新薬創製を求め、 新規類縁化合物の合成とスクリーニングのプロジェクトを担当していた。着任後、 野村助教授のテーマであるアジリジン環化合物の研究を共同で継続して行う一方、 新しい環形式のメソイオン化合物の合成研究を安立助手とスタートさせた。 昭和51年富山医科薬科大学に移管され、53年6月には博士課程設置に伴って新設の医薬品化学講座(大講座)に 属することとなったが、「薬化学」の名称は研究室名として残った。 昭和54年3月杉谷キャンパスに新研究棟が完成、4月移転と同時に荒井謙次助手が大阪市立大学より着任した。 増田教授は昭和53年8月から2期4年間薬学部長を務めたが、定年まで2年を残して副学長に選任され、 2期6年間にわたり佐々学長を援けて昭和63年7月に退官された。 なお、安立助手は、昭和57年助教授に昇任後、昭和58年に日本医薬品工業研究所へ転出された。

吉井教授

 副学長に選任された増田教授の後任として、昭和58年6月吉井英一教授が薬用資源学講座合成化学研究室より配置換えとなり、 第三代の薬化学研究室の教授となった。同時に荒井助手が合成化学研究室に移り、合成化学研究室の武田敬助手と入れ替わった。 翌59年4月には堀耕三教務職員を迎え、吉井・野村・武田・堀の新陣容で第三期薬化学研究室が始まった。 吉井教授は富山大学薬学部第1回卒で京都大学大学院修士課程を修了後、日本新薬(株)に7年間在職後、 昭和37年から母校に戻り教育・研究活動を開始した。翌38年9月に助教授、45年に教授に昇任した。 新体制になる以前の吉井教授の研究主題は、強心性ステロイドなどの生物活性天然物の合成研究であった。 薬化学研究室を主催するようになってからは、複雑な構造をもつ生物活性天然物の全合成、 それに関わる新規鍵反応の開発に精力的に取り組んだ。吉井教授は昭和59年8月から初代の実験自習機器センター長を1期2年、 次いで62年12月から薬学部長を2期4年間務め、平成8年3月に定年を迎えた。この間、昭和62年に野村助教授が教授(生体物質化学研究室)に、 平成元年に武田助手が講師に昇任した。なお、堀教務職員は平成2年1月に助手、平成8年3月に講師に昇任した後、 吉井教授の定年と同時に富山化学(株)に転出された。

小泉教授

 平成8年4月、 定年退官された吉井教授の後任として、小泉徹教授が薬用資源学講座合成化学研究室より配置換えとなり、第四代の薬化学研究室の教授となった。 小泉教授の異動に合わせて東京大学より斉藤慎一助手が採用され、平成8年講師より昇任した武田助教授とともに第四期薬化学研究室が始まった。 しかしながら、わずか2年後の平成10年1月に、小泉教授は薬学部長職在任中に急逝された。同年4月には斉藤助手が東北大学に 、武田助教授も平成12年10月に広島大学医学部に教授としてそれぞれ転出され、20世紀の終焉とともに第四期薬化学研究室はその短い歴史に幕を閉じた。

 21世紀を目前とした平成12年12月、 井上が第五代薬化学研究室の教授として着任した。 井上は京都大学大学院工学研究科出身で、大阪府立大学大学院工学研究科助教授から若干38歳で異動・採用された。 平成13年1月には東京医科歯科大学より藤本和久助手が採用され、2月には阿部肇博士を協力研究員(後に助手)として迎え、 完全に新しい布陣で21世紀の薬化学研究室がスタートした。教授として工学博士の井上を採用したのも初めてなら、 有機合成を看板としない薬化学研究室ももちろん初めてである。これからどんな研究室となるのか、是非とも期待していただきたい。

 時代は動く。新しい酒には新しい酒樽が必要である

(平成13年2月、井上将彦記)

 なお本文は、富山医科薬科大学開学十周年および二十周年記念、 ならびに富山医科薬科大学薬学部百年史の各誌における薬化学研究室の歴史を記した文章を、再編成、加筆したものである。