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「テーラーメード医療」の時代へ

(39年卒)古 市 泰 宏 (潟Wーンケア研究所所長)

テーラーメードという言葉がいろいろなと ころで使われるようになった。「一律に既製 のものを…」というのではなく、「人それぞ れの寸法に合わせた…」という意味だが、医 療では、「患者さん個人に合わせた治療方法」 が選べるということになる。

テーラーメードの、「テーラー」は紳士服 の洋服屋を意味している。年配の方なら憶え ていられると思うが、五十年ほど前には、街 のあちこちに「テーラー○○」という看板が 出ていたものである。当時、背広は「ぶら下 がりの既製服」ではなく、「仕立てて」いた のだ。

私は富山市で育ったが、中学生になっ た時、祖父がそのお祝いに、私を近所のテー ラーへ連れて行き、学生服をあつらえてくれ た。なにぶん伸び盛りの年頃であるから、こ の仕立服はまもなく身体に合わなくなってし まったが、思い返してみて、私には、それ以 来、テーラーメードの服を着たという記憶が ない。私の体型が既製服に合う標準型だった ことにもよるが、「大方の消費者が納得する」 規格の良い既製服が行き渡り始めたことが大 きい。そのことによってか、下町のテーラー ○○の看板は、次第に少なくなっていった。

さて、テーラーメード医療であるが医療は、 これまでも患者さんの病状に合わせて行われ てきているので「何を今更…」ということに なるかも知れないが、最近、ヒトのゲノム情 報(遺伝子を含むDNAの配列)が解き明かさ れたことにより、この状況が少々変ってきた のである。

各人が持つ固有の遺伝子情報を調 べることによって、「病気を予知し、その発 症を予防したり遅延させたりする」という理 想的な予防医療も、将来的には可能になる筈 である。

筆者はゲノム研究者であるので、ここでは、 主に遺伝子情報に基づいたテーラーメード医 療のことになるが、この意味するところは本 来、「可能な限り、標準型でない人に対して も、その人に合った」ということだから、治 療薬や治療法の選択だけでなく、入院中の寝 巻だとかベッドのサイズだとか、食事の量や 好みなどについても、患者さんがなるべくス トレスの少ない状態で闘病生活が出来るような仕組になるだろう。私が病気になった時に は「ぜひ、そうしてもらいたい」と思っている。

私は、二年前から東芝病院の三代俊治博士 とC型肝炎ウイルス患者さんへのインターフ ェロン治療における、薬の「効き方」と「患 者さんの遺伝子背景」について研究を進めて きている。 インターフェロンはC型肝炎ウイルスを退 治できる唯一のいわゆる「特効薬」だが、そ の成功率が三〇から四〇%と低いことが問題 である。高価な薬であるため治療費も高く、 治療期間も半年から一年の長期に及び、また 副作用も軽くはない。

しかし、C型肝炎ウイ ルスの慢性的な感染は肝癌の発生へもつなが るので、「インターフェロンにはぜひとも効 いてもらわなくては困る」のである。 インターフェロンの「効き方」については、 ウイルスの型や血中に存在するウイルス量の 多少、感染期間の長短などによって影響され ていることが既にわかっている。このウイル ス側の事情に加えて、最近、三代博士らの研 究から、患者さんの遺伝子DNAの微細な配列 の違いがインターフェロンの効果に影響を及 ぼしていることがわかってきた。

過去にインターフェロン治療を受けた患者 さんのDNA配列を調べ、インターフェロンが ウイルスを駆逐できたかどうかを統計的に調 べることによりわかってきたのである。 遺伝子上の微細な組み合せの違いを各々の 患者さんの「体質」というならば、インター フェロンが「効きやすい」体質と、「効きに くい」体質があるということである。

医師と患者さんが治療に入る前に、これら の状況を理解していればウイルスとの闘いに おいていくつかの選択肢が期待できる。たと えば、「効きにくい」体質であれば、長期の 治療を「覚悟して」受けることになろうし、 あらかじめ固辞することも含めて、代替治療 を選ぶことも出来よう。また、「効きやすい」 体質であるとわかれば、確信を持ってインタ ーフェロン治療へ踏み込むことが出来るであ ろうし、また過去にインターフェロン治療を 受けた人で、何故か完治できなかった患者さ んたちへも、「再挑戦」への勇気を持たせる ことになるのではないかと思われる。

ここでは、C型肝炎ウイルスの感染とイン ターフェロンについてのみ触れたが、その他 の病気と治療薬についても遺伝子の微細な違 いによる「効き方」に違いがあることが最近 の研究からわかってきている。

一般的に言って、薬は、「おおむね、70% 以上の人達には効く」ことで使われているの であり、ある薬について、「効きにくい人」 が居てもおかしくはない。つまり、ヒトそれ ぞれの体型のために、既製の服が「合わない」 場合に似ているのである。

この原因としては、 遺伝子の微細な違いにより、与えられた薬に 対し患者さんの細胞が「期待通り対応しない」 場合や薬を速やかに「排除」したり「代謝」 してしまうことが挙げられている。 これらの知識は、最近の医科学の進歩がも たらした人類への福音でもあり、二十一世紀 の医療に取り込まれなければならない重要な ことであると思うのである。

「その人に合った治療のため」とはいえ、 遺伝子を調べるということは、これまでにな かったことであり、患者さんや家族のプライ バシーにも抵触しがちな問題や、倫理の問題 を含む。 しかし、いずれにせよ二十一世紀は、個人 のゲノム情報を組み入れた「テーラーメード 医療」の時代になることは間違いなく、その ような医療が、安心して受けられるようにな るためには、個々人の意識の上でも制度の上 でも了解が求められよう。そして、それを乗 り越えることが、この時代に生きる私たちの 使命でもあると思うのである。

「ヤクルト健康情報誌ヘルシスト158号」より転載

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