横田嘉右衞門先生御略歴

明治30 (1897) 年 9月27日 福島県会津若松市行仁町23番地で出生。
大正12 (1923) 年 3月 東京帝国大学医学部薬学科卒業。     
大正12(1923)年 4月 東京帝国大学医学部薬学科で研究に従事。   
大正14 (1925) 年10月 東京帝国大学医学部薬学科助手。
昭和 8 (1933) 年 4月 岐阜薬学専門学校教授。   
昭和9 (1934) 年 2月 薬学博士。  
昭和12 (1937) 年 6月 徳島高等工業学校教授。    
昭和12(1937)年 8月 同学校製薬化学科主任。  
昭和19 (1944) 年 4月 富山薬学専門学校長 (四代目)。
昭和21 (1946) 年 2月 富山薬専復興期成会を発足し募金活動。
昭和21(1946)年 3月 叙勲 勲四等瑞宝章。   
昭和24 (1949) 年 5月 富山大学薬学部長 (初代)。   
昭和27 (1952) 年 1月 富山大学評議員。  
昭和36 (1961) 年12月 富山大学長事務取扱。     
昭和36(1961) 年12月 富山大学長 (三代目)。  
昭和42 (1967) 年11月 叙勲 勲二等旭日重光章。   
昭和44 (1969) 年 3月 富山大学長を依願退職。    
昭和44(1969) 年 4月 富山大学名誉教授。   
昭和50 (1975) 年11月 富山医科薬科大学参与。  
昭和56 (1981) 年 9月24日 逝去 (85才)。従三位。  
昭和61 (1986) 年 9月 富山医科薬科大学横田基金制定

横田嘉右衞門先生記念の品々

横田嘉右衞門先生は、若くから教育研究に情熱を傾けられ、東京帝国大学教授慶松勝左衛門先生の第一の弟子として、東京帝国大学助手、岐阜薬学専門学校教授、徳島高等工業学校教授を歴 任され、昭和19年富山薬学専門学校長として着任されました。
昭和24年以来、富山大学薬学部長を 12年間務められた後、昭和36年には薬学系出身者として全国で初めて総合大学の学長となられ、 昭和44年3月御退官になるまで、薬学界の重鎮として活躍されました。
この間、昭和20年8月の米空 軍B-29の大空襲で全焼した校舎を復旧するに当り、翌年2月に富山薬専復興期成会を発足させ、活動を開始されました。先生自ら、二等兵の軍服姿で、リュックサックに僅かな配給米と暖を取る為の 少々の炭を背負って全 国の同窓生や企業を行脚され、当時の金額としては破格の400万円もの浄財 を募り、戦災校復興第一号として校舎の再建を完遂されました。

 

 

昭和56年9月ご逝去されるまでの37年間の永きに亘り、富山で薬学教育一筋に情熱を捧げられた遺徳を偲び、昭和60年の初春頃、生前の先生と身近にあっ同窓生から「横田嘉右衞門先生顕彰会」の話がもちあがり、翌61年2月に青銅製の胸像が建立されました。
御自宅で御令室愛子様は先生の胸像の出来映えを見ながら大変喜んで居られましたが、この年の4月7日先生の元へと旅立たれました。
横田先生御夫妻の生前の御遺 志により、全遺産は教育・研究に役立てる基金にと富山医科薬科大学に寄付され「富山医科薬科大学横田基金」として活用され、御夫妻の富山への愛着と薬学教育に対する情熱は今も受け継がれています。


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